戸次貞雄の説いた「祖先礼拝の道」は、みずからの親・先祖を中心に、万象をも祖先として、その恵みに感謝礼拝するという、喜び合いの教えです。
またここでは、恵みすなわち神であり、その道に従って感謝礼拝することこそ、日本民族に与えられた本来の日本神道の教え(日本民族道)とします。
そして戸次貞雄は、その「祖先礼拝の道」をご皇室がご捧持(ほうじ)なされているという意味で、妙皇道(妙なるすめらぎの道:みょうこうどう、みょうおうどう)、天皇道とか名づけたのであって、他民族や他国家の侵略を正当化するような民族主義的な、あるいは戦前戦中の国家主義的な天皇観や神道観ではありません。
要するに、天皇道(妙皇道)・民族道とは「祖先礼拝の道」の別名で、それを捧持する日本民族の尊い使命は説かれていも、日本民族の他民族に対する支配や優越性を説いたものではありません。「祖先礼拝の道」とは、森羅万象あらゆるものを恵み(神)としてとらえ、同じくわが祖先とするのですから、そこには本来、民族支配、被支配の関係はなく、相互に敬愛和楽し、礼拝するという教えです。すなわち日本民族道は、民族協調の教えであり、現在の醜い民族間の争いなどは否定します。
妙皇道の名称は主に戦前に用いられました。天皇道、民族道の名称は戦後のものです。戸次が戦前、「祖先礼拝の道」を妙皇道と称したのも、恐らく国家主義的な、それを支えた国家神道の天皇観と区別するためのものと思われます。
戸次は戦前の誤った国家神道に対しては、昭和5年1月「妙皇道報」【参照1】において、以下のごとく述べられています。
世は闇だ。寸尺を弁じ得ぬ闇だ。ーー心苦しくも正しくは歩み難い憂き世とはなった。いずこを見ても真の闇だ。
オー求め恋うものは灯明だ、光だ。人面獣心の横行を正し、照らすみ光が欲しい。今、光のきたらずは、今、灯明を迎えずんば、いつの世かこの人生に灯明を求め、光を欲するの時があろう。
日本は「神の国」と唱えつつこの状態(ありさま)。神の国、それはこうした不純なものであるのか。
日本国よ! なんじが唱うる神の国は、なんじ自身を盲信自尊せる、迷愚なる神の国であったのか
と。
また戸次は、反戦の立場でした。そして、「仏の大慈大悲と運命」という著書【参照2】において、密かに国相を案ずるに、二つの大難が降りかかっておる
第一、 大修羅道現出の相
第二、 大餓鬼道現出の相
この二大災厄である。これ実に国土興廃の一大危機に直面したものである。今にして妙法の「道」を行ぜざれば、上下を挙げて恐れ怖き、泣き叫び、親子、親族、兄弟、朋友の別なく、眼前「生き地獄」の大苦悩をなめねばならぬであろうことを、憂えるものである。
と説きました。この著書を、昭和4年に「ひそかに」ではなく公然と、時の内閣、宮内省をはじめ各大臣、貴衆両院などに送ったのです。
戦争の後ろ盾となる国家神道に異議を堂々と唱え、反戦の立場で、国が「眼前、生き地獄の大苦悩をなめねばならぬ」などと主張したわけですから、当然、戸次は、弾圧の危機にさらされました。しかし、当時の国家神道の推進者や、国の運営にかかわる人物達が、ある時期より戸次に帰依するようになったため、その難を逃れています。
終戦を迎えると、戦勝国の圧力により、天皇は人間宣言をなされ、不純で迷愚な国家神道は解体され、神社の権威は地に落ち、同時に盲信自尊した民族の優越性をも完全に否定されました。ところが同時に、本来の日本のすばらしい教えでさえも、国家主義あるいは封建主義として否定されるという状況になりました。日本はこの時点から完全に欧米的な価値観や考え方に支配され、それを国民が進んで受け入れるようにもなったのです。正に終戦は敗戦でした。
そのような状況の中で、逆に戸次は、「祖先礼拝の道」を有する日本天皇の尊厳さ、日本民族のすばらしさを、ことさら声高に説きました。終戦直下の昭和20年から、講和前、進駐軍の統治下においてです。今度は、戦前、戦中とは反対側からの圧力も予想されました。戸次の教えはあくまで一筋なのですが、国民の自覚を求めるための説法の仕方は、時代と逆で、反骨精神のかたまりのようにも感じられます。そして戦後、「祖先礼拝の道」を天皇道、民族道と名づけたのです。
幸い、戦後は弾圧こそありませんでしたが、日本天皇、日本民族という名称には、国家主義にこりた国民的にとって拒絶反応がかなりあったはずです。その反応を正すために、あえて「祖先礼拝の道」を天皇道、民族道と名づけたものとも思われます。
昭和26年、RGD報という機関誌に、「日本天皇道会結成」【参照3】のお知らせが掲載され、日本天皇道、民族道奉賛という名称が正式なものとなりました。
【参照1】
妙皇道報 1月号 昭和5年1月16日印刷 18日発行 全責任者主幹 戸次貞雄
発行所 普明堂
印刷所 普明堂印刷部 奉賛 明法会
【参照2】
仏の大慈大悲と運命 昭和3年8月18日 奉勅教霊友会 印刷発行
著者 普明堂主(戸次貞雄)
分別広説、流布者 久保角太郎
【参照3】
世界RDG報 昭和26年12月発行
発行所 宗教法人日本敬神崇祖 自修団事務所
発行人 戸次貞雄
街頭に出て、演壇に立って、「天地のお恵み」への感謝を忘れるなと、声を大にして叫び、天地一切の衆恩に報い、人間として誇りある生活をするために、天皇道精神をしっかり把握せられるようにと、常に念願してきましたが、このほど、ようやくに機が熟しまして、一宗一派を超越して、広く宗教的文化を建設し、世界平和を祈ろうとする、日本天皇道会が創立されることになりました。
石ころや土くれも、同じ天地の子どもであります。「万象と共に喜ぶ」という天皇道精神による日本の国こそ、世界民族に真の平和を呼ぶ精神的な大きい役目を持った国柄であるという自覚をもって、日々の業務にいそしんでおられる皆様は、折に触れ、機に臨んで行いました私の説法を、しっかりと思い起こし、正しく心に刻み、この日本天皇道会の発展のために、清く、力強いご協力をお願いしたいと思う次第であります。
昭和26年3月21日 浅草ひょうたん池畔にて街頭説法の様子(亡者姿中央が戸次貞雄)
世界祖先甦(こう)霊(れい)大運動
Dead in the grave hearing the voice of God will Revive (ヨハネ伝より)
神の声を聞いて 墓場の死人 蘇らん